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- 2011.05.24おわりに ~僕の「才能」~
カテゴリー:おわりに インドで、タクシーに乗った時の事です。
運転手さんが、
「お前の仕事はなんだ?」と、聞いてきました。
「役者です。」
「何!?役者だって?なんてこった。 今日は携帯を忘れて来たから、写真が撮れない!」
「いや、全然有名でも何でも無い、ただの売れない役者ですよ。」
「そんな事は関係ない。しまったな、妻に『オレは今日、日本の役者を乗せたぞ』と、自慢出来たのに・・・」
「僕なんかの写真撮っても、 『誰よ、これ?』 って言われますよ。」
「じゃ、聞くが、日本で一番有名な役者は誰だ?」
「うーん、・・・最近、世界的に有名なのは、 『ケン・ワタナベ』 かな?」
「ほらみろ、オレは知らないぞ。オレの妻も知らないし、インドじゃ全然有名じゃない。だから、オレにとっては、お前もそいつも、全く同じ 『日本の役者』 だ。」
なんともインドらしい、大雑把な話しだな、と思いました。
でも、その瞬間、僕は脳みその奥がキーンとするような、不思議な感覚がしました。
僕はそろそろ、「才能が無い」 という言い訳をやめようと思います。
これはなんとも便利な、特に僕のような 「そこら辺を歩いている人より才能が無い」 奴には、実に使い勝手の良い、言い訳なのです。
何かにチャレンジして、失敗したとき、「やっぱり才能が無いなぁ」 と言う事によって、
「失敗したのは、僕の努力が足りなかったせいじゃない。才能が無いからだ。だから僕のせいじゃない。」 と、自分のプライドを守って来たのです。
僕は五体満足で、健康で、住む家があって、着る物があって、食べる物に不自由はしてなくて、その上、職業選択の自由まであります。
そして、「芝居をやりたいな」 と、思っています。
世界には69億4千万人いるそうですが、その中でこういう人は、いったい何人くらいいるんでしょうか。
僕が思っているより多いのかも知れませんが、そんなチャレンジが許されない環境で生活している人に言わせたら、才能が無いくらいは、大した事じゃないのかも知れません。
パリのオペラ座を観ても、NYのブロードウェイを観ても、まだ 「もうちょっと、何か出来る気がするな」 という勘違いから、醒めませんでした。
もうどうしようも無いので、もう少し、この勘違いが完全に醒めるまで、頑張ってみようかと思います。
「努力は必ずむくわれる」 とか 「夢は必ず実現する」 と言い張るには、残念ながら、ちょっと歳がイってる気がするし、そんなに素直な奴じゃありません。
だからこれは、僕の勝手な 「思い込み」 です。
挑戦するのに障害が無く、その意欲が充分な時、その人は、「才能に恵まれてる」 のだと、思います。
僕だけが、言い張るのはいささか恥ずかしいので、ぜひ皆さんも言い張ってみて下さい。
僕なんかより、ずっとずっと優秀な人達が、次々と諦めて行くのを見るのは、とても残念ですし、ちょっと心細いです。
あなたが、どこにいて、どんな目標にむかって、何をしてらっしゃるのか、僕には分かりません。
でも、僕はもちろん、この日記に登場してきた、ほとんどの人達は、貴方の才能を信じ、貴方の挑戦を心の底から応援している事だと思います。
「頑張って下さい」 や「頑張りましょう」 ってのも、ちょっと気恥ずかしいですし、そんな偉そうな事は、とてもじゃないけど言えません。
そして 「決して諦めるな」 とも思いません。
もし、挑戦の結果が、思い通りにならなくても、その過程はとても価値のあるものだと思います。
たとえ途中で諦めても、頑張った分だけ、貴方の身体には、色々な種類の、沢山の「おくりもの」がくっついている事だと思います。
それは、次のステージに進むときに、また力強く貴方を助けてくれると思います。
僕はそんな事に気づくのに、4万kmも旅してしまいました。
この旅を通して、僕の身体には、また新たな「おくりもの」がくっつきました。
この日記を読んで頂いた皆さんにも、少しでも、何かしらの「おくりもの」が届いていれば、こんなに嬉しい事はありません。
最後になりましたが、本当にお世話になった方達へ、この場を借りてお礼を。
まず、リレーに参加して頂いた、柿澤勇人さん、小林敏子さん、原田美欧さん、鳴海正宏さん、Minori Terrienさん、Ruben Van Rompaeyさん、南しずかさん、Yumi Michelleさん。
素敵なロゴを作って頂いた、グラフィックデザイナーの、浅野純也さん。
このHPを作ってくれた、株式会社カメレオンの下西敦子さん、株式会社ベストスキームの石鍋直樹さん。
様々な形でご支援頂いた、羽鳥三実広さん、Artist Company響人の皆さん、西野誠さん、笠嶋俊秀さん、秋谷:深月さん、白石紋子さん、EBATOさん、橋本健太郎さん、つばささん、若林和之さん。
旅中にお世話になった、鈴木知美さん、小林隆臣さん、落合良子さん、猫さん、かえるさん、由水南さん、久保田彩佳さん、井筒節さん、三井りよさん、影山雄成さん。
I’m filled with gratitude to, W.Bro. Arjun J. Hotwani, Bro.Ashok Mahbubani, Bro.Ambarish Singh Roy, Bro.Rene, Bro.Cagri Yalgin, Mr.Richard Nhlebela, Mr.Daniel Therrien, Ms.Shifra Azimullah, for your kindness.
また、企画の段階から協力してくれ、僕の漠然とした考えを、なんとか形にしてくれた、赤井史郎さん、小山直樹さん、長南大樹さん、山崎淳一さん。
Twitterで、様々な情報をくれた皆さん。日記、掲示板にコメントしてくれた皆さん。
そしてこんなに更新の遅い、読みにくい日記に、最後までお付き合い頂いた、全ての方に、心からお礼申し上げます。
本当に、本当に、ありがとうございました。
途中、個人的な理由により、長期に渡り更新が滞ってしまった事を、深くお詫び致します。
申し訳ありませんでした。
次は、どんな場所で、どんな形で、お目にかかれるか、分かりませんが、とても楽しみにしております。
その日まで、どうか、お元気で。
那俄性 哲
- 2011.05.18背中のおくりもの~Day:109 (Last Day) Hollywood→Tokyo~
カテゴリー:27 : ハリウッド どうせ今日も雨なんだろうなと思って、宿に空港までの送迎をお願いしておいたら、案の定雨だった。
送迎車は、朝7時に向かえに来るという。
「僕のフライトは11:35だから、ちょっと早いよ。」と言ったら、
「国際線に乗り遅れたら大変だ。これがベストだ。」と言われてしまった。
迎えに来た車は、少し大きめのバンのような車で、僕を乗せると、周辺の同じような安宿をいくつも周り、次々に他のバックパッカー達をピックアップしだした。
なるほどね、これが朝7時の理由か。
まぁ、いいんだけど。
これからいよいよ日本に帰るというのに、この期におよんでもまだ、旅の終わりを迎えるという実感が無い。
ロサンゼルス国際空港は西海岸沿いにあるので、海まではほんのわずかな距離しかない。
ぐるっと西回りに一周したのだから、最後に、アメリカ大陸の西の果てで、海でも見れば少しは感慨深いのかな、とも思ったのだけど、これまた激しい雨が降り続いている。
これではちょっと、ビーチで海を眺める、という気にもならない。
仕方ないので、早めに空港でチェックインを済ませよう。
と言っても、最後に乗るのは散々お世話になったANAなので、ネットですでにチェックインを済ませ、座席まで指定してある。
あとは荷物を預けるだけだ。
カウンターで最後の搭乗手続きを済ませようと、持ち歩いてボロボロになったEチケットを出すと、窓口の青年に、
「大変申し訳ありませんが、チェックインして頂いたお席がご用意出来ません。」と言われる。
「ん?それってどういう事ですか?」と尋ねると、早口の英語で、
「他の航空会社の団体のお客様が、なんたらかんたら、」と、長い説明が始まる。
なんだかやむをえない事情がありそうなのだけど、詳細は良く分からず、ようは僕の席が無いらしい。
「それで、どうしたら良いんでしょう?」
「他のお席をご用意致します。お客様のご希望通り、窓側に致しますので。」
なんだ全く問題ないじゃないか、そんなに恐縮する事でもないだろうに。
と発券されたチケットを見ると、席番号がとても若く、しかも手書きで「no lounge」とある。
「あの、これはどういう意味ですか?」と聞くも、
「お席はあるんですが、no loungeなんです。」と返ってくる。 さらに、
「本来なら差額を頂くところなんですが、今回は特別に。」と、人差し指を唇に当てる。
ん?という事は、まさかの、エコノミー料金でビジネスクラス?
でもわざわざ「no lounge」って書かれてるって事は、座席がしょぼいビジネスクラスなのかな? それとも、補助席的な所?
と、搭乗してみると、なんと正真正銘、バリバリのビジネスクラスだった。
あんまり驚いたので、客室乗務員の方に「僕の席、本当にここで良いんですか?」と確認したら、とても爽やかに笑われた。
今回の旅は、世界一周航空券の発券から、経路変更と、ANAさんには本当に良くして頂いた。
ありがとう、ANAさん。今後とも飛行機乗る時は、ANAにします。
ドラゴンボールのフリーザが乗っていた奴のようなシートに、落ち着きなく収まり、離陸の瞬間を待つ。
今回の旅は、初めての海外のわりには、夜中に出歩かなかったせいか、それとも危険な所に行かなかったせいか、なんのトラブルにも遭わず、本当に良かった。
最後にこんな贅沢が待っているとは思わなかったけど、僕は相当ラッキーな方なんじゃなかろうか。
雨の降り続く西海岸を眺めながら、今回の旅で一番長く居た国、アメリカを後にする。
すごい国だったな、アメリカ。
今度NYに来る時は、僕はどうなっているんだろう。
約12時間という、今までで最長のフライト時間を、快適すぎるビジネスクラスで過ごしたけど、僕はほとんど何もしなかった。
ただひたすら、今までの事を思い返していた。
僕は、20歳の時に初めて俳優養成所に通い、その後は、劇団青年座の研究所を経て、小劇場の舞台にも立ったりもした。
残念ながら、普通の小さな劇団では、100人にも満たない客席のほとんどを、出演者の知り合いで埋めるしかない。
当然、毎回満席というわけにもいかず、無名の役者では、一般のお客さんにいらして頂く事も難しく、収益も赤字が出なければ万々歳といった感じだった。
観に来ているのは知り合い、生計はアルバイト、という状況に、僕はどうしても疑問を抱かずにはいられなかった。
色々と迷った僕は、何を血迷ったのか、劇団四季を受ける事にした。
日本で、舞台に立つ事だけで生計を立てられるのは、残念ながらここしか無かったのだ。(そんな事ないとおっしゃる方もいるだろうけど)
もちろん、ミュージカルをやってみたい、という憧れはあったものの、正直に言うと「芝居で食べていきたい」という欲求だけで、四季を受けたのだ。
ところが、どっこい、僕はダンスも声楽も、ほぼ未経験で、どちらも青年座の研究所のレッスンが初めてだった。
もちろん、成人してからレッスンを初め、メキメキと上達する方も、たくさんいらっしゃるけど、僕の場合、素質というモノは最低ランクだったように思う。
変な話、僕は「才能の無さ」には自信がある。
小さい頃から運動はまったく駄目で、初めて自転車の乗れたのは小学校6年生の頃だった。
走るのはもちろん遅かったし、なんとなく入っていたサッカークラブはずーっと補欠だった。
当然、大人になってから大きく変わるものでもなく、とあるワークショップのウォーミングアップで縄跳びをやらされたら、僕だけちっとも出来なかった。
全くお恥ずかしい話だけど、片足ずつ交互に10回も跳べないのだ。
これには、まぁ呆れられた。
じゃ、歌えるかというと、これまた酷い。
青年座の時、声楽レッスンでの出来があまりに悪いので、個人的に声楽の先生に習いに行く事にした。
が、先生がピアノで叩いたその音で、「あー」と声を出すことも出来なかった。
ここでも、まぁ呆れられた。
そしてその先生に、
「君の場合、そこら辺を歩いている普通の人のレベルになるまでに、最低でも5年はかかるけど、それでも良いの?」と言われた。
ここまで言われりゃ、やめればいいのに、なぜだかやってしまった。
四季を受ける時にも、この先生には「間違って入っちゃったら、後が大変だよ。」と散々止められた。
僕は、「まぁどうせ、こんな素人は落ちるだろう」、と思っていたら、なぜだか受かってしまった。
今でも、何かの間違いだったんじゃないかな、と思っているけど。
案の定、その先生に言われたとおり、劇団四季の研究所に入ってからは、それはもう大変だった。
みんな、3歳からバレエやってます、とか、音大で声楽やってました、というような人ばかり。
正直、入ったその日に、「こりゃ絶対無理だ。すぐに追い出されるな。」と思った。
でもなんとか、一日一日をこなして行くうちに、「まぁマグレでもせっかく入れたんだから、一回でも舞台を踏むまでは頑張るか。」と、覚悟を決めた。
縄跳びも跳べない、単音の音も歌えない奴が、ミュージカルに挑戦するのだから、そのガチャガチャぶりは、容易に想像して頂けるかと思う。
仕方ないので、僕は、なんとか目の前の課題を、ひとつずつ、ひとつずつ、こなして行こうと、足元だけを見据えて、ちょこちょこと歩いていった。
本当にありがたい事に僕は、理解ある先輩方や、心強い仲間達に恵まれ、少しずつだけども、矢継ぎ早にやって来る課題を、なんとかこなしていった。
ふと気づくと、いつの間にか四季に入ってから数年がたち、何種類もの作品に出演させて頂いていた。
この頃になると、案の定、自分の素質や才能の無さを、嫌というほど痛感していたので、「もういいや。もう充分にやったな。」とも、思うようになっていた。
が、その時すでに、僕の身体には色々なモノがこびりついていた。
こんなに何も出来ない僕を、根気良く分かりやすく指導してくれた先輩。
僕なんかよりよっぽど、歌えて踊れたのに、やむを得ず途中で夢を諦めた仲間。
一応「劇団四季」という看板をしょっているだけで、本当に何も出来ないこの僕に、地方公演で、とても暖かくもてなしてくれた方達。
「もう無理!やめちゃえ」と、思うたびに、身体のどこかについてる、誰かの想いがよみがえる。
「ここでやめると、あの時応援してくれた方に申し訳ないかな」
「あいつは、本当にこの作品に出たがってたのにな」
「あの先輩は、よくこんな出来の悪い奴の練習に、夜遅くまで付き合ってくれたな」
時を重ねるごとに、それはどんどん増えていった。
時に励まされ、時に叱咤され、時に無理やり前に歩かされた。
その度に、
「分かった分かった、じゃもう一歩だけな。その代わり、これやったらやめるからな。」
と、またなんとか歩き出す。
だけど、その目標をクリアした頃には、もう新たな想いが身体にこびり付いている。
新しい仲間も増え、やめて行った仲間も増える。
お世話になった人も増え、応援してくれる方も少しずつだけど、増えていった。
時間が経てば経つほど、前から引っ張られ、後ろから押される手は増えて行き、それは本当に、嬉しく、頼もしく、力になった。
けど、時間がたてはたつほど、その期待に応えられず、ご恩返しも出来ない、自分の無力さを痛感した。
「よし、もういいだろう。」
といって、やめようとする度に、どこかの誰かが、僕の身体のどこかで、何かを言う。
「分かった分かった。 じゃ、もう少しだけ。 もう少しだけな。」
僕は、そうやって7年間、ちょっとずつちょっとずつ、何度も後退しながら、少しずつ歩いてきたつもりだった。
この大変さからは、劇団をやめた瞬間に、全て解放される、と思っていた。
そしてこの重荷は、やめる時に他の誰かに託せるのだと、ずっと思っていた。
ところが去年、劇団を後にして、自分の部屋で寝そべってみても、待ちに待った開放感はやってこなかった。
身体のアチコチについているものは、前に進む事を強制しなくなったけど、それでもまだそこに居続けていた。
これをどうしたらのいいのか、さっぱり分からなかった。
なので、僕はいったん結論を保留して、逃げてみた。
ドイツでダニエルさんに言われたように、「今までの全てを、そのクソ重たいバックパックに詰めて」。
旅をするにつれて、背中の荷物の重さは、だんだん気にならなくなって来た。
時に重くなり、時に軽くなりを繰り返し、どんどんと身体の一部のように、自然に馴染んで来た。
そして旅を終える今、背中の重荷は、僕の身体の中にすっかり溶けてしまったような気がする。
それは、プレゼントリレーに参加して頂いた方をはじめ、旅の中で出会って来た全て人達が、僕の重荷を溶かして、身体に中に塗りこめてくれたかのようだった。
僕が今まで「荷物」だと思って、背中に背負っていたものは、「おくりもの」だったのかも知れない。
背負っていた荷物はいつか降ろせるけど、身体に中に入ってしまったものは、もう取り出せない。
僕はもう、誰かの声に頼らず、いい加減、自分自身で歩かなくちゃいけないんだな。
そんな事に気づくのに4ヶ月もかけて、15カ国、30都市を周らないといけないなんて、本当に、困った奴だ。
気がつくと僕は、飛行機の座席で泣いていた。
この旅では、一人で考え事をしたり、ブログに考えをまとめていると、いつの間にか泣いてしまう事が、本当に良くあった。
まったく、いつからこんなに泣き虫になったのやら。
起きているのか、眠っているのか分からない状態を繰り返すうちに、飛行機はいつの間にか、日本に着いていた。
成田に着くなり、ツイッターやメールで、沢山のメッセージを頂いた。
それは、空港で久しぶりに見た、日本語の看板と同じ言葉だった。
「おかえりなさい」という言葉が、ここまで自分の身体に響いたことは無いと思う。
本当に良い言葉だな、と思った。
空港では、話に聞いていた、「日本に戻って来ると感じる、醤油の匂い」はしなかった。
荷物カウンターで、ずっと一緒に歩いて来たバックパックを受け取る。
背中の荷物は、びっくりするほど軽くなっていた。
僕はしばらく到着ロビーを歩き、またちょっとだけ泣いた。
ただいま。
ようやく、帰って来れました。
本当に、本当に、ありがとう。
- 2011.05.13Get Back~Day:108 Hollywood~
カテゴリー:27 : ハリウッド 明日、11:35発の飛行機で、いよいよ日本に戻る。
長いんだか、短いんだか、分からなくなってしまったけど、いよいよ終わりだな。
なんとか、ハリウッドでもプレゼントリレーを繋げて、無事に日本に戻るのだから、もう少し何か感慨深いものがあっても良い気がするのだけど、ちっともすっきりしない。
ロサンジェルスに着いた翌日から、ずっと降っている雨と同じだ。
しかも、今日はまた一段と、激しく振っている。
今日も、大きめのパンケーキを焼いて、独りモゴモゴと食べる。
こういう安宿にも、バックパッカーでは無い宿泊客が、結構いる。
やや年配の、ちょっとパリっとしたシャツを着た紳士の隣のテーブルでは、韓国人っぽい女の子が、お母さんらしき人にちょっと不機嫌な英語をぶつけている。
とても狭いカウンターでは、スツールに腰掛けた中国人のお爺さんが、パンケーキには目もくれず、自分で買ってきた卵とベーコンをピチャピチャと食べてる。
NYで長い事、友人宅に泊めてもらっていたせいか、いつの間にか、あまり他の宿泊客と積極的に話さなくなってしまった。
ちょっと、面倒くさいというか、なんというか。
何をするにも、どうにもモヤモヤしてしまって、気が乗らない。
でも旅の最後の一日を、ダラダラ過ごすのも、さすがに勿体無いので、ずっと持ち歩いていた折り畳み傘を持って、外に出る。
小さい折りたたみ傘では、あまり役に立たないくらい激しい雨が降っている。
何も最終日に、こんなに降らなくても。
どこに行こうか迷ったあげく、あまり観光気分でもないけど、とりあえず地下鉄に乗ってダウンタウンの方へ向ってみることにする。
そういや、昨日Michelleが言ってた、お気に入りの場所、「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」にでも行ってみようかな。
地下鉄をシビックセンター駅で降り、地上に出てみると、さっきより雨足が強まっていた。
ここまで、ずっと頑張って来てくれた、Reebokの「レインウォーカー」も、さすがにもうお疲れのようで、靴下までグッチョリになっている。
肩をすくめながら、なんとかたどり着いた、ウォルト・ディズニー・コンサートホール。
さすが12月も下旬という事もあり、入り口にはクリスマスコンサートのポスターが、沢山貼られている。
すると、お父さんの手を引っ張るようにして、小さな女の子がチケットを片手に、出てきた。
チケットを買う段階で、もうすでに、目一杯楽しそうだ。
当日はおめかしして、家族みんなで来るのかな。
もう、お気に入りのナンバーとかあるのかな。
こんなに楽しみにしてくれてたら、演奏する人も嬉しいだろうな。
ディズニーコンサートホールの向いには、「Music Center」なる立派な建物もあった。
どうやら、色々と演目が上演されているみたいだけど、やっぱり観る気は起こらない。
なんだかなぁ。
と、雨はバケツの水をひっくり返したような、豪雨になってきた。
Michelleは昨日「この時期のロスは、雪の代わりに雨が降るの」なんて言ってたけど、こりゃちょっとスゴすぎる。
このまま、いつものようにたくさん歩いて、ダウンタウンの「リトルトーキョー」なる所まで行ってみたかったのだけど、さすがにこれじゃちょっと無理だ。
明日、東京に帰るのに、リトルトーキョーでもないか。
かと言って、他に行く所も思いつかないので、食事がてら、いったん宿に戻る事にする。
いったい何をしに、こんな雨の中、ここまで来たのやら。
残る食事も今夜だけなので、いらない物をキッチンのフリーフードスペースに、置く。
ミラノで買った醤油。
ウィーンで買ったお茶の葉。
ジュネーブで買ったインスタント味噌汁。
ちゃんと誰か貰ってくれるかな。
びしょ濡れのズボンを乾かしている間、ブログを書いていると、すっかり日が暮れてしまった。
少し雨も小降りになって来たようなので、もう一度出かけるか。
もう、遠出をする気にはならないので、これまたMichelleお勧め、近所の「Arc Light Cinemas」に行ってみる事にする。
これまたとっても豪華な内装で、ちょっとした空港みたいな映画館だ。
映画関連の書籍が大量においてある本屋や、映画の衣装等、展示品も沢山ある。
さすがはハリウッドの映画館、と言うところか。
一通り見て、少し興奮したけど、それでも映画を観て行こうかな、という気分にはならない。
かと言って、宿に帰る気もしないので、適当に辺りを、適当な歌を歌いながら、あても無く歩く。
とてつもなく大きなCD屋や、映画学校らしき建物やら、色々とあるけど、なんだか醒めた気分のままだ。
きっと僕は、旅の終わりらしい、何か「衝撃的な出来事」を、探してるんだろうな。
でも、映画や小説じゃないんだから、そう都合良く「何か」は起こらない。
それが嫌なら、帰る期限を設けず、納得行くまで旅を続ければいいんだ。
それが出来ないわけじゃないけど・・・
ふと、さっきからずっと、無意識に同じ歌を歌っている事に気がついた。
その曲は、Beatlesの「GetBack」だった。
おいおい、ホントかよ、って自分でも思ったけど、本当に無意識に、ずっと歌っていた。
これって何年前の曲だ?
そんなにビートルズファンでも、ないんだけどな。
例によってうろ覚えなので、頭の中で、ポールがサビばかりを繰り返している。
「Get Back! Get Back! Get Back to where you once belonged.」
「お前の 元いた所に 帰れよ」だって。
これは映画じゃないんだから、旅の最後の夜なんて、こんなものなのかも知れないな。
宿に戻ろうとした時、ふと思いついて、近所の雑貨店ををいくつかまわる。
数件目で、やっとお目当ての物が買えた。
この旅でお世話になった人たちに、クリスマスカードを書こう。
なんとなく、旅の終わりの夜にふさわしいかな、と。
宿に戻り、狭いベッドの上で、慣れない英文メッセージを書く。
香港中を、案内してくれたアショク。
インド、コルカタのロイ。
ボーフムで、急にお邪魔してしまった、みのり。
ベルヘン・オプ・ズームの、ルーベンとそのご家族。
NYの猫さんとカエルさん。
慣れない国際便を、間違いの無いように、一通ずつ書いていく。
「GetBack」を歌いながら書いてると、本当に色々な事が、思い出されて来る。
香港なんて、遠い昔の事のようだな。
インドでは、本当にどうなる事かと思ったよ。
トルコ料理、美味しかったな。
イタリアも良かった。
みのりはもうすぐ、ウィキッドの稽古だろうか。
今度ルーベンの家に行く時は、沢山お土産を持っていかないとな。
そういや、パリで髪切ったっけ。
まったく、スイスの物価の高さと来たら。
スペイン、絶対にまた行こう。
NYも、絶対だな。
書き終えたら、ふと、今日の昼間、ディズニー・コンサートホールで会った女の子の姿を、思い出した。
とってもとっても楽しそうに、チケットを手にしていた女の子。
何だか、鼻の奥の方が、シュンとする。
僕の旅の「終わりの出来事」は、あれだったのかも知れないな。
僕は、パソコンを立ち上げて、Michelleに、昨日のお礼のメールを書いて、最後にこう付け加えた。
「I had a lot of twists and turns, but I could finally find my way.」
「僕は、ずいぶんと回り道をしたけど、やっと自分の覚悟を決めたよ。」
さぁ、元いたところへ、戻ろう。






